「何が出来ない」ではなく、「何が出来るか」を考えて生きてきた50年の人生。何の知識もなく始めた雑誌作りも4年目を迎えます。自分の人生に「悔いはなかったか」と振る返ると、周囲から「おまえくらい好き勝手に生きてこれたら、うらやましい」と言われます。確かにやりたい事はすべてやってきました。今考えると、いつでも、あれが出来ない、これが出来ないではなく「何が出来るか」を優先順位として生きてきたように思います。
進学、生活、恋愛と、障害が妨げになったものは多々ありましたが、それは50年間の人生の中で大きな問題ではありませんでした。壁にぶつかるたびに、「何が自分に出きるか」だけを考え、逃げる事はしなかったと思います。
そうした壁を、自分だけで乗り越えてきた訳では決してありません。家族、友達と私は周りの人々に恵まれていました。だからといって、施されることだけに満足していたわけでもありません。
例えば、学生時代。体育の授業で実技が出来ないなら、審判役で参加しました。宿題は誰よりも先に済ませ、クラスメートに貸してあげました。仕事も、人が嫌がる事、面倒臭がる事を自分のできる範囲でさりげなくする。酒の席でも、飲酒は控え、酔いつぶれた友人、遠方の取引先の人を送ってあげる。そうすることで、自分の存在価値を表現する事ができるし、今までになかったコミュニケーションが図られると思うのです。
自分ができる事を最大限に何気なくアピールする事は、出来ないものを補って余りあるものがあるのではないでしょうか。それは作為ではなく、日ごろ手伝ってもらうこと、気を使ってもらう事の多い私たちですから、ことらから気を使い、相手を思いやるという心がけも必要ではないかと私は思うのです。
無理をせず、自分の出来る範囲で、思いやりと優しさを発揮していくことは、障害者の世界だけではなく、人間として生きていく中で、全ての人に必要なことではないでしょうか。そんな思いを持ちながら、雑誌『チェアウォーカー』の編集長として日々を過ごしています。皆さんも人を思いやる心、優しさをもうワンステップ上げてみてください。きっと、お互いに住みやすい街になると思います。
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