市原市立B中学校 1年生
私が幸せだと思うときは、家族と一緒に過ごすときです。家族はとても大好きです。でも、人にとつぜん聞かれると少し考えるもんだなあと思いました。私も福祉は幸せだと思います。障害のある人もけんじょう者の人も同じ学校で、同じ生活ができるといいなあと思いました。みんなで支えあって初めて幸せになるんだなあと感じました。話を聞かせてくれて、どうもありがとうございました。
今日、倉田さんの話をきいて、なにかいきいきしてるなと思いました。しょうがいをもってうまれてくる人は『かわいそう』と思っていた。けど、倉田さんはそれをかんじさせなかった。あと1つ1つの話がとってもわかりやすかった 幸せなんて今まで考えた事もなかった。けど、今日すごく考えさせられた。私は自分がすごく幸せだと思う。みんな元気(家族)だし、友だちもいる。倉田さんの話をきいて、みんなのありがたさがわかった。家族は宝!だと思った。今日、倉田さんにいろんな人へのありがたさをおそわった気がします。本当にありがとうございました。
ボクは、障害を持った人に偏見のようなものを持っていた。他の人も、少なからず、そういうものを抱いていると思う。でも、倉田さんの話を聞いて、偏見のようなものは、ボクの中ではなくなったと思う。もっと、自分たちと障害者の方がたくさん話せる場を設けてほしい。そうすれば、人が持っている偏見はなくなると思うし、障害のある人でも住みよい社会になると思う。
正直、最初はびっくりしました。本当にしゃべれるのだろうかなど、いろいろなことを思っていました。でも話をきいているうちに、その言葉1つ1つに大事な大切な思いがこめられているんだなあと実感しました。発表することはできなかったけど、私の幸せもやっぱり食べ物を食べている時や、友達と会話している時、家族といる時です。なんだか自分が生きているということをじっかんさせられるんです。倉田さんも同じだと思います。皆それぞれ形や性格、生活がちがうのはあたり前だと思います。だって、みんな生きていることにはかわりないと思います。だから私にとっての幸せは生きていることなんです。今日、話をきいてとてもよかったです。ありがとうございます。
今日、倉田さんの話を聞いた中で、「できないこともあるけど、できることもある!それに、ぼくにはみんなとおなじ心がある」ということをきいて、「そうだなあー」とかんどうしました。倉田さんは、倉田さんなりにがんばっているのだなーと ものすごくおもいました。これからも、何にも負けず、いろんなことにちょうせんしてもらいたいなと おもいます。きっとつらいことがたくさんあるだろうけど、これからもずっとがんばっていってほしいです。
今日は、倉田さんが話にきてくれた。あんなに一生けん命しゃべってくれて、なんかあたたかい気持ちになった。その中で僕は「普通に生活できている事、普通に生きていることが一番幸せなんだなー」と感じた。
倉田さんの話を聞いて、倉田さんは生まれつき体が不自由でまわりの人とちがうのに、きずついた時、そんなに「やだ!と思ったことがない」って言った時、なんでだろう、自分だったら「やだよー」っていっちゃうかもしれないと思った。倉田さんはすごいなと思った。
倉田さんの話を聞いて、倉田さんは強い人だなと思った。なぜかというと、まわりの人が手や足が自由にうごかす事ができるのに、自分は自由にうごかないのに、「生まれつきだから。」と聞いて、すごいと思いました。ふつうならたぶん自分がきらいになり、死にたいと思う事があると思うのに、そう思わない倉田さんをすごいと思う。
私が”幸せ”って感じられる時は、自分の足で走ったり、本を読んだりしている時。そして、やっぱり友達といる時。孤独ってとってもつらいから。私が”幸せ”って感じられる時っていうのは生きてるって感じられる時だな。私も生まれた時ちいさくて、体重は1000数十g。呼吸が止まったことだって3回くらいある。だから、私は今、生きているということが幸せだな。今、私は人として生きている。人として生きてこられて本当によかったと思う。いつか生まれ変わる時がきたら、私はまた、人に生まれたい。私の両親は「福祉園」というところにつとめています。そこで生活している子供達は、「ようご学校」というところに通っています。生きていられて幸せです!
今日、ふくしの「幸せ」という話を聞いて、ぼくは幸せだなと思いました。家族もいるし、どこもふじゆうなところがないので、しあわせです。たまに、不幸せだなと思うこともあるけど、「幸せ」という話をきいて、自分が幸せということがわかりました。「ありがとうございました。」
まず最初に、倉田さんはすごい人だと思いました。自分のしょうがいと向き合ってて、よくうけとめられたなあと思った。私は、町とかでそのような方を少し変な目で見ていたけれど、倉田さんのお話しで変わった気もちになりました。もし、私がしょうがいをもっていたら、たぶん自分のおやをうらみ、そして自分で死をえらぶかもしれない、と思っていました。けれど、倉田さんのがんばっているすがたをみたら、そんな事はもうかんがえないと思いました。本当にきょうは良いおはなしをありがとうございました。
ものごころがついて、『みんなとちがう』ってきがついたとき、『そんなにきにしなかった』といったくらたさんがすごいなあーと思いました。きっと、私がみんなとちがう体でうまれてきたら、家から外に出ようとはおもわないと思った。くらたさんは、自分をしょうがい者ではなく、一人の人間として、いままで生活してきたのだろうとおもいました。「『しあわせ』ってどんなとき?」ってきかれたとき、私はかんがえこんでしまいました。でもあとあとかんがえると、しあわせとは、人につくってもらう物ではなく、自分でつくるものだから、「どんなとき?」ってきかれても、今かんがえてもわからない、とおもった。くらたさん、これからもしょうがい者としてではなく、一人の人間としてがんばって下さい。
今日、倉田さんの話を聞いて、倉田さんは自分が体の不自由な人なのに、全然ふこうと思っていないところがすごいと思いました。あと、私が一番心に残ったのは、体は思うように動かせないけど、心は自由に動かせると言ったことです。倉田さんには中学だけでなく、いろいろな学校で福祉のことを話してほしいなと思いました。倉田さんは少しだけ歩けると言っていたけど、それはリハビリをものすごくがんばったんだなあと思いました。
倉田さんがまず最初に話してくれたことは”幸せ”について。私にとって幸せは”友達と話をしたりしている時”です。とても楽しいです。それぞれ幸せの感じ方はちがうけれど、価値観は一緒じゃないかと思います。私は誰もが幸せであってほしいです。倉田さんは、ふくし=幸せと言っていました。私は将来、介護士になりたいと思っています。だから”かわいそう”とか同情じゃなくて、自分が思ったことをそのまま行動にうつしていきたいです。倉田さんは楽しくて、話も聞きやすかったです。過去にいろいろ大変なこともあったのだと思いますが、それをのりこえてきた倉田さんはすごいです。もっと一緒にお話したかったです。今日は倉田さんから”幸せ”について学び、よくわかりました。このことを忘れずに、これからはだれにでも思いやりをもっていこうと思います。ありがとうございました。
福祉って自分にとって遠い存在だと思っていました。でも、エレベーターなど身の回りにたくさんあるんだなと思いました。自分だったら生まれてきた時に手とか足とかが動かなかったら、歩くことなんかあきらめて、リハビリもしないだろうなと思いました。でも倉田さんは、ぼくとちがって強い精神を持っている人だなと感じました。車イスに乗っている人にとってじゃり道なども危険なんだなと感じました。「身体は不自由だけど心は自由だ」その言葉がすごい心に響きました。この辺はまだ道路とか舗そうされてない所が多い。段差とかもあってバリアフリーになりきれていません。大人になったらもっとバリアフリーをさかんにしたいなと思います。今日、1時間ありがとうございました。
今日のお話を聞いてとても感動しました。倉田さんは体は不自由だと自分から言ってくれたり、福祉の大切さなどを詳しく説明してくれました。産まれながらにして体が不自由なんてさぞかし悲しかったと思います。友達ができなかったり、一緒に遊べなかったりしてとてもつらかったと思います。僕も初めて学校や、幼稚園に行く時も不安でいっぱいでした。でも勇気を持ってやれば倉田さんみたいに立派にできるんだなと、自分の中で深く思いました。「体は不自由でも中身はみんなと一緒です。」と聞いた時は、とても感動しました。質問にもちゃんと答えてくれて、とても明るかったです。倉田さんのように、他の障害を持った人々にも明るくて、とても元気いっぱいの人になってもらいたいです。[倉田さん、貴重なお話ありがとうございました。]
私は今まで「しょうがい者」の人をあまり見たことがありませんでした。近所にもそんな人が居ません。でも、デパートとかなど行くと車いすで買い物をしている人を見たことがあります。ほしい物がたなの高い所にあって、とてもふべんそうでした。その時に誰かにほじょしてくれる人がいるといいなと見てて思いました。話を聞いていて、エレベーター、エスカレーターがなくなってしますと困る人は大勢いると思います。老人が増えている世の中で、とてもふべんな事だと思います。だって階段だけだと老人の人達はころんでしまったりして、けがをおうことになるかもしれないとすごく考えました。自分の幸せって友達といる時かもしれないけど、友達がいない人ってとても大変だと思います。もし、しょうがい者でもなく、困っている人を見かけたら、なにか「役に立てないかな?」と思いたいと思いました。
1番始めに、「ふくし」がなくなったらどうなってしまうか、というはなしがあったけれど、私はそういうことを1度も考えたことがなかったので、とても考えさせられました。そしてもう1つ、幸せとは何か、という話がありましたが、やはり、だれかと話をしている時だ、と私は思います。最後に、「ふくし」とは幸せに結びつくものだ、ということを聞いて、「ふくし」はしょう害を持つ人にとって、欠かせないものだ、と思いました。私は、しょう害を持つ人と直接、役立てなくても、募金などのせっきょく的に協力しようと思いました。また、しょう害を持つ人だけでなく、いろいろな人の役に立てれば良いな、と思いました。 |