千葉市A中学校受講生からの御感想
「生きているとつらい事もあるけど、楽しいこともあるよ。」倉田さんの言葉が私の頭の中でぐるぐる回っていました。私は放送委員だったので、姿は見ることができなかったけれど、その分一つ一つの言葉、話にすごく実感を抱くことができました。その一つが最後の言葉です。たしかにそうだと思いました。人間はなぜか、楽しい事よりもつらいことのほうが強く心に残ってしまいます。私も今まではずっとそうでした。しかし あらためて考え直すことができました。つらいことは強い心で受け止めて次へ進めるようになりたいです。だから、それを教えてくれた倉田さんに心から感謝したいと思いました。
僕は倉田さんのお話を聞いて、こう思いました。「五体満足と言うのは、あたりまえのことではない。」 倉田さんは昔地域に友達がいなかったらしいですが、今の僕には、友達がいない生活など考えられません。これは五体満足だからこそ外へ行ったり、遊んだりできる、ということだと思います。だから、本当に幸せなことなのだ、ということに気づきました。僕は、「ボランティア」という行動に今まであまり興味はありませんでした。しかし、話を聞いて、人は支え合って生きていかなければいけない、と感じました。これからは、自分のできる範囲で、ボランティアで無く仲間として 人とのつきあいに気を配ったり、困っていたら何か手伝ったりしようと思います。倉田さんが言った、「今自分にできることは何かを考える。ということを実行して、助け合いができるようになりたいです。今日のふれあいトークで、今までの自分の考えが変わりました。倉田さんの話を聞くことができて本当によかったと思います。」
『今、自分でできること』って言われると、何も浮かんでこない。でも、きっと沢山あるはずだと思う 「自分で幸せになるより人を幸せにする事こそが幸せだと思う。」 この言葉が凄く印象に残った。私は今まで、自分で幸せになるんだと思っていたけど、言われたら納得した。中1で、老人ホームへ行ったとき、ここに来て良かったと感じた。それこそ、自分にとって、良い事だし、気持が良かった。今、日本では差別が未だ残っている。障害者って言う事も差別かもしれない。誰でも普通に通える学校を作ることも、差別を解除するひとつの手段だと思う。私が今、一番考え込んでいることは、受験だ。倉田さんの話を聞いて、自分に目標が出来た。「人が幸せになることをしたい」と思ったからだ。目指す高校も決まった。2月に入試まで、力を出しきろうと思う。そう思えたのは、倉田さんのお陰で、感謝の気持でいっぱいだ。話を聞くことが出来て本当に良かった。
私は体に障害を持つ人は今まで正直、何もできなくて可哀そうだと思っていました。だから特別な目で見て勝手に同情したりしていました。でも倉田さんの話を聞いて、私が身障者に対する、心の段差が少しとれた気がしました。なぜか。それはお互い、不得意なことがあるということです。倉田さんは手≠ェ動かず不得意だとおっしゃいました。私は国語≠ェできません。読解が苦手だからです。どんな人にも苦手なものがあるんだな…と思うと、特別な目で見なくたって、人間らしい…とお互い分かり合えるような気がしました。倉田さんは私の身障者に対する段差を取り除いてくれました。私にはそんなことはできません。人の心を変えることは。倉田さんだからこそ感じられてお話ができるのだと思いました。体に障害を持つ人と接する事で心のハーモニーになるようです。本当に嬉しかったです
今日は、色々なことを考えました。倉田さんのお話、僕には考えられないようなことばかりでした。でも、がんばってる倉田さんはすごいなぁと思いました。なんか、言葉にするのがむずかしいのですが。僕もいろいろ頑張ろうと思いました。何の不自由もなく生活できることに改めて感謝しました。人の心をうごかせるような (動かされました。)感動させられるような(感動しました。)そんな倉田さんはとても素敵だと思いました。僕も、そんなふうになれたらいいなぁ。いろいろ、頑張ってくださいね!!(。また新聞の倉田さんの記事のコピーも見ました。『碍』…なるほど なぁと思いました。なんだか記事見てとてもかっこよかったです。僕は、倉田さんはとても素敵な大人だと思います。テレビのニュースとかで犯罪がおきて…とかゆうのを見ると、あまりよくない大人が沢山いるんだなー…と思います。けれど倉田さんはとても素敵だと思います。そして、僕もそうなりたいです。
最初、私はふれあいトークがあるときいて、そんなのやらなくてもいいじゃん!と思っていて、あまり真剣ではありませんでした。でも、倉田さんの話を聞いて、普通の中学校に入りたいのに体が不自由な事を理由に入れてもらえなかったと聞き、義務教育なのに、もし私が倉田さんみたいだったら、絶対に耐えられないだろうなぁと思いました。私は、一回だけボランティアをやったことがあります。しかし質問でボランティアとは何かと聞かれても、手をあげる事ができませんでした。私はまだまだボランティアの事をしらないなぁと思いました。もし街などで見かけたりしたとき、困っていたらできる限りの事を手伝いたいと思います。また障害者の方と何時か友達になりたいです。
"誰だって重荷を背負って生きている。でも、その重荷と
どう戦って生きていくかは、自分自身で決めるんだ" 前にそんな言葉を聞いて、ずっと心に残っていた。今日の話を聞いていて、思ったことがある。体に不自由なことがある人は、常にその重荷と戦っているんだろう、と。きっとそれは私には理解できないところの問題だ、と感じた。人の悩みは人それぞれだけど、何にしても、自分の重荷と戦って、前へ進む事の出来る人は心の強い人だ、と私は思う。
僕は今まで障害者というと いつも拒否していたような気がしました。でも今日 倉田さんの話を聞いて 心と心のハーモニー
という事を考えていけるような気がしてきました。僕はちゃんと健康な体で生まれてきたのですが、もし、倉田さんのような不自由な体で生まれてきたとしたら、倉田さんのように力強く生きていけるか不安です。でも、もしこれから先の人生で倉田さんのような人達に出会ったときは、逃げたり隠れたりせずに、「どうしましたか?」など積極的に話していきたいと思います。不自由な体で生まれたはずなのに力強く精一杯に生きている倉田さんを尊敬します。
私は先日「ボランティア」と呼ばれる事をやって来たばかりです。老人のお世話をするというものでした。ですが倉田さんの話を聞いて、自分が恥ずかしくなりました。「自分はいい事をしているんだ」と言う優越感に勝手に浸って、終わった時は自己満足でいっぱいでした。しかし、当のお年寄りの事を本当に思って触れ合ったかというと、そうではなかった気がします。他人を本当に幸せにすることができなければ、本当の仲間ではないと、今日初めて気づきました。倉田さんが言ってくれた、「自分の幸せのために努力するのではなくて、他人の幸せのために努力する事で、本当に自分が幸せになれる」という言葉を忘れずに、自分も他人も幸せになれるようにこれからは努力していきたいです。
一番最初、倉田知典さんに会ったとき、やっぱり世の中にはいろいろな人がいるんだなと思った。体が動かなくても、すごいんだな―ということを今日学びました。もし、自分の体が動かなくなっていたらどうなっていただろう、と身体障害者を見るといつも思う。たぶん今日会った倉田さんのようには生きられないと思う。あんなすばらしい人に会ったことはないと思う。最後の方に言っていたキャッチボールのボールをキャッチしました。今度は、ボールを投げ返します。うまく投げられるかわかりませんが・・・。
『心と心のハーモニー』と大きく書かれた紙を背に、車椅子に座った倉田さん。私はこの日、倉田さんに教わった事がある。倉田さんは、「ボランティアって何だと思いますか?」と聞いた。知っている様で知らなかった。それは難しいからではなく、きっと簡単過ぎてわからなかったんだと思う。そういうことは よくある。身近な事や言葉程、何だと聞かれると困るものだ。それくらいボランティアは身近で、「誰にでもできる」につながるのだと思う。でも倉田さんが言うボランティアで無く仲間作りが何よりも大切だと感じた。
「毎日一生懸命生きる」これは障害者だけでなく、私達健常者にも言える。もう2度と来ない日々だからこそ、一生懸命でなければいけない。そんなことを教わった『今日』を、忘れてはいけない気がした。
倉田さんのお話の中で,「一発勝負」という言葉がありました。倉田さんは、手が不自由で、着替え・食事・トイレなど、私たちが普段行っている事が、倉田さん1人ではできません。そんな倉田さんが、足を使って、コンピューターを操作し、自分がしたい事をし、障害というハンディを背負いながらも、辛い壁を超えながらも、前へ前へ進む倉田さんがすごいと思いました。倉田さんには、仲間というものを教えてもらいました。自分から、進んで触れ合いをする事を教えてもらい、今度からは、みんなのために出きる事を自分で探し、やれといわれてやるのではなく、進んで触れ合いをしたいと思います
「ふれあいトーク」で、最初に倉田さんを見たとき、かわいそうだなあと思ってしまいました。だけど、倉田さんの話を聞いていると、明るくユーモアのある人で、自分の考えをしっかり持っている人で、全然かわいそうな感じはしませんでした。それから、倉田さんの話の中で、一番印象に残ったのは、「仲間」の話です。考えてみると、「ボランティア」というのは体の不自由な人やお年寄りを助けるということだと勝手に決めつけていたけど、そうやって同じ人間を特別扱いするような考え方は、あんまりよくないということに気がつきました。ボランティアで無く みんな同じ仲間=人間なのだということを学びました。
倉田さんの話を聞いて、一番凄いと思ったことは、自分であれがやりたいこれがやりたいと思ったことをきちんと行っている事です。思ったり、人に言う事は簡単だけど、それをやりとげてしまうということは凄いと思います。私も、あれがやりたいと思うものはいっぱいいっぱいあります。倉田さんのように、実行させたいけれどなかなか出来ません。障害と言う言葉になってしまうけれど、障害という高いカベ≠ェあるのに、そのカベを乗り越えて突き進む倉田さんの立場だったらすごく落ち込んで試練というカベ≠乗り越えようともしないと思います。倉田さんを見て、私も頑張ってみようと思います。この思いが実行されるとイイんだけど・・・。
今日、倉田知典さんという重い障害を持ち、車イスに乗っている方が越智中へ来ました。自分がどのように生活してきたかということをお話してくださいました。倉田さんは、小・中・高と養護学校へ通っていたそうです。最後に話してくれた事だけど、倉田さんは、私達のような普通の学校に通いたかったけど行かせてもらえなかった。あなたがその立場なら…?という話がありました。私達は、普通に生活できて、一人でたいていのことはできるし、みんなと違う扱いをされるなんて考えた事もありませんでした。これが当たり前だと思っていたから…。でも世の中には、倉田さんのような方、もっと重い障害を持った人がいるということを、再確認しました。自分が当たり前だと思わず、色々な人がいるという考えを忘れずにいたいです。今日は、とてもいいお話を聞くことが出来ました。
最近、私の身の回りでも、頻繁に『ボランティア』と言う言葉が聞かれます。でも今まで私はずっと、「ボランティアなんて何か大変そうだし、私には関係ない。」と思っていました。しかし、今回のふれあいトークで倉田さんの話を聞いたら、ボランティアなんてそんな難しいことではなく、もっと簡単に仲間になれば良いと思いました。私は、優しい誠意のある心と言葉で人に接すれば、相手が少しでも喜んでくれる、そういう事が最も大切だと思います。だから、自分がそう思えて、そう思ってもらえるような人になれたらいいな、と思います。『心と心のハーモニー』。それは一人一人のちょっとした心の変化から生まれてくるものだと思います。
倉田さんを見たとき、正直かわいそうな人だな、と思いました。校長先生の話を聞いているときもかわいそうな人の印象は変わりませんでした。なぜなら、御手洗いも食事もきがえも、私には簡単にできることが出来ないという事を聞いたからです。倉田さんは、自分が出来る事があの場ですぐ言えました。でも私が自分に出来る事を言えと言われても、多分すぐには出てこないと思います。すぐに言う事が出来た倉田さんは私と比べ物にならないくらいとてもすばらしい方だと思っています。私は、あまり福祉や介護などには興味関心がありません。でも今日倉田さんと出逢ったことをきっかけに仲間作りを心がけていこうと思います
倉田さんは、障害者として生まれてきた事を、悔やんでいませんね。倉田さんの話を聞いていてそう思いました。倉田さんの話しを聞いて、私の中で倉田さんは障害者ではなく、人に変わりました。中学校への入学を拒否されたとき、私には良く分からないけど、きっと凄く悔しかったんでしょうね・・・。私には、倉田さんのことは良く分かりません。でも、とってもすばらしい人なんだなぁ、と思いました。ひとつ何かが欠けている分、ひとつ何かいい物を持っているんですね。私達、越智中のみんなは、倉田さんの友達です。今日は、来てくれて、色々な事を教えてくれて、ありがとうございます。
私が通っていた幼稚園の近くには、養護施設があった。近所でも、障害のある人とすれちがったりする事が多く、今回講演してくださった倉田知典さんのような人々もたくさん見てきた。私達はあたりまえのように中学校に通っている。しかし倉田さんは、行きたくても公立中学校に行けなかった。私はあらためて、中学校に通える喜び、そして世の中には色々な理由で学校に行けない人がいるというということを感じた。最初はどんな人が来るのか、ドキドキだった。倉田さんは私の想像とは違う人だった。話も、ユニークで明るく私達を楽しませてくれた。そして私は、仲間についてもっと深く考えてみたいと思った。
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