高校卒業を間近に控えたある日、私は右手関節に痛みを感じていました。でも卒業後に就職した会社は楽しく、忙しい日々に痛みも忘れていました。そんなある日、右手だけだった間接の痛みが全身の痛みとなり、歩くことも座ることもできなくなりました。人の手を借りないとトイレへも行けなくなったのです。
病院での診断の結果は『慢性関節リュウマチ』。私には病気を理解する余裕すらありませんでした。社会人としてスタートしたばかり、楽しいことはこれからと思っていたのにショックは大き過ぎました。何でもできると思っていましたが、病気には勝てませんでした。
会社を辞め、家での安静の日々が続きました。毎日が痛みとの戦いでした。痛み止めの薬は、飲めば必ず口内炎ができるほどの強いものでした。痛みはどうしようもなく、泣き叫ぶほかありませんでした。身体をさすり続けてくれた両親には、感謝の気持ちで一杯でした。
病気は一向に治る気配はなく、丈夫だった私の足は曲がってきました。歩くのにも不自由をしていたので、杖をつくってもらいました。杖を使わなくても歩けるのですが、長時間になると杖を使っても疲れるようになっていました。
病院を変えるということは、血液検査、レントゲン検査、すべて最初からやり直すということです。私にとって、とても苦痛なことでしたが、今度はリュウマチ専門の病院でした。様々な検査の結果、手術を進められました。いろいろ迷いましたが決心し、今年の1月17日とうとう両足の手術の日がやってきました。
無事終わり、病室に戻って来たときには両足にギブスが巻かれ、身動きひとつできませんでした。再び痛みとの戦いの毎日でした。そして1週間後、地獄のリハビリが始まりました。動かしていなかった下半身は、寝返りもままならず看護婦さんたちの叱咤激励がとび「何で私だけがこんな辛い目にあわなければならないの」と思ったこともありました。
退院して半年たった今、たまに外出するときは車椅子を使っています。少し前までの私は、自分が障碍者になるなんて夢にも思っていませんでした。車椅子で街に出て見て、初めて段差がこわいことにも気がつくようになりました。
以前から興味を持っていたエブリワンに、知人の紹介で入会して1年。入会してまもなく手術を経験した私は、障碍者の気持ちも理解できるようになった気がします。たくさんの友達と、何でも前向きになれる気持ちを教えてくれた会長の倉田さんとの出会いは、私にとって何よりの幸せでした。 |