メールを通じて知ったエブリワンの活動に参加する友人に誘われて、一緒に参加したのが入会のきっかけでした。
福祉の専門学校生、陶芸教室の先生、同年代のフリーター、仲の良いご夫婦、エブリワンには様々な人が集まっていました。年齢も参加したきっかけも十人十色でしたが、何よりの目的がボランティアではなく仲間づくりの交流会だということを知り、グループ名の“ウィズエブリワン”の意味を考えるきっかけになりました。
以前から私は“ボランティア”という言葉に興味を持ち続けていました。高校生のころから私の夢は“ボランティアで世界中の人を助けること”でした。「だれかの役に立ちたい!もしも自分のしたことで相手が少しでも幸せだと感じてくれたらそれが自分の幸せにつながる。これは素晴らしい!」マザーテレサにでもなったかのように、一生無償で人に尽くせたら幸せだと考えていました。
しかし今、現実に自分の将来を真剣に考えなければならない時期を迎え、こんなきれい事ばかりも言っていられなくなりました。自分で生きていくということは、やはりお金が必要だからです。「人を助けたい、何かの役に立ちたい」そうすることで必要とされる自分の存在を確認したかっただけかもしれないと思うようになりました。
確かに人のために何かしようという考え方は素晴らしく、自分が必要とされていると思えることは、生きていく力にもなると思います。しかし「助けよう、与えよう」という考えがある限り“みんなで生きる”という本当の意味とは違うのではないかと思います。「何かを与えるのではなく、共に生きる仲間となる」これこそが何不自由なく生きている今の自分に欠けていたのだと思いました。
「人という字は人と人が寄り添ってはじめて一人の人となる」と教えられたように、人は決してひとりでは生きていかれません。“共に生きる”それ自体が人を幸せにするのではなく“共に幸せになる”ことが大事なのだと思います。障碍者や健常者という枠など使わずとも、みんなが同じ人として生きていくためにエブリワンの会長の倉田さんをはじめとする多くの人々との出会いを、これからも大切にしていきたいと思います。 |