あれは9年前の中3の秋。親に“ボランティアでもしてこい”と言われ、気が進まぬまま参加したとあるイベント。
そこで初めて障碍を持つ方々と出会い、私にとって新しい世界を知る良い体験をした。なぜかその時「ふーん。こんなんもいるんだな」と思い、初めての介助も全く違和感を感じなかったのを覚えている。
そしてすぐうちとけ、友達になることができた。その彼とも今年で10年の付き合いになる。
私自身も楽しむことを第一に考え、介助は最低限にとどめている。厳しいようだが、彼にとっても意外とこれが良いリハビリになったりする。そして彼には、私のいたらないところを支えてもらっている。そういえば(怒られそうだが)彼の車いすをオモチャ代わりにして遊び、車いすの操作方法を覚えたこともあった。
私がエブリワンに入会したのは8年前の初夏。様々なことを学ばせてもらっている。特にエブリワンの存在意義でもある「ボランティアではなく友達を」について。ボランティア対障碍者の関係は、両者の間に壁ができてしまいやすい。お世話をする側とされる側。それはそれで良い面もあるが、そこからもう一歩あゆみ寄ってみる。するとお互いにできないところを補い合い、お互いの考え方を尊重し共に生きていくという関係になれると思う。
とても素晴らしい関係だ。多少オーバーだが、眼鏡をかけている人は視力が弱っているために眼鏡という補助具を使う。程度は軽いが、これも障碍なのではないだろうか。しかし、かけている、かけていないに関わらず、お互い対当な立場に立てる。つまりエブリワンで求めているものは、健常者と障碍者という壁をなくし、見かけだけではなく真のバリアフリー社会をつくることではないだろうか。
私たちをとりまく環境は、まだまだ障碍者にはとても厳しい環境になっている。ということは、お年寄りにとっても厳しい環境といえる。人ごとではない。私はエブリワンを通じて一日も早く真のバリアフリー社会が来ることを強く願い、自分の出来る範囲で努力していきたい。
いま私は市内にある老人ホームで働いている。エブリワンで知り合った先輩を慕い就職先を決めたようなものだ。その先輩の支えを受け、様々なストレスに耐えながらも、入居されているお年寄りと楽しい日々を送っている。こんな私を信頼し、孫のようにかわいがってくれる入居者に対して、自分のできることはなんだろうか。今後の大きな課題である。
この2年間、諸事情によりエブリワンの活動に参加できなかった。今年からまた活動に参加させていただき、エブリワンの発展と自身のレベルアップのために精一杯がんばって楽しみたい。
※エブリワンでは会の方針で『障碍』の文字を使用しています。戦前は「障礙者」と書いていましたが、戦後当用漢字にない「礙」が使えないので「障害者」と書くようになりました。しかし「害」という字には“邪魔なもの、他人を害する”という意味もあります。ですから“妨げ”の意味を持つ「碍」を用いています。本人は妨げをもっているけれど、人を害してはいないということです。 |