45000部発行
とものり Talk
題字 小出善三郎 市原市長 イラスト 鶴岡ひろし
さん
ご意見、感想をぜひお寄せください。 m(__)m tomonori.taiwa@gmail.com
2002年10月6日 で
「とものり Talk」 連載コラム
は終了しました
2002.10.6号
障碍 健常という心の枠を取り除き、互いに人として尊重し合い 楽しい交流を活動の中心とし、自立に向けて11年間 仲間たちと共に活動してきた私たちのグループ 「ウィズ エブリワン」。今年8月 多くの方々の お力添えのおかげでNPO法人となった。
障碍者のグループは、障碍者の幸せと「権利」を社会に働きかけ、健常者は それを援助する。これが一般的な定説である。しかし障碍者に限らず 皆 心で幸せになりたいと思うのは、すべての人に共通する人生の目標である。障碍者が さまざまな権利を求めてきたことにより、近年 福祉は急速に進んできた。福祉サービスも障碍者自身で選べる時代。
だが、サービスの産業化 また一方、ボランティアというのは その場限りの付き合いで あることも多い。互いに縦続的に心通じ合う友情は、いまだ深め合えていない。友情を育てることは 実は福祉制度を作るよりも難しい。しかし、いつまでも権利を求める 障碍者 対 サービスする側の健常者という互いの立場を きっちりと割り切った社会は実に寂しい。
互いに相手を思いやり心から感謝することが、真の友情を育てる近道だと思う。ウィズ エブリワン の理事長として、これからも ずっと 友情を育てることを最大の目標として活動して いきたいと思っている。
2002.2.3号
化粧は ほとんどしなく、いつもスッピン。ごく普通の素朴な顔。髪はショートカットで黒毛。冬はジャンパー、夏はTシャツ姿。いつもズボンはジーパン。靴はスニーカー。健康的で笑顔が個性的。会った時の あいさつは言葉で無く オチャメに指で 私の頬をつっついて 笑う。
金や物より心を大切にし理屈っぽく無く、前向きに行動できて、余り先の事を考えず 今を大切にし信念を持っている。でも、私には 甘えてくれる。軽自動車でも いいからドライブ好きで高速道路も平っちゃら。遊園地より海を ながめている方が好きな自然派。
いつもユーモアあふれる楽しい会話、でも時には人生を熱く語り合う。料理は そこそこで大満足。・・・と まぁ、勝手な ことを書きつづったが、これは私の女性の理想像。今は夢物語に過ぎないが いつか、こんな すてきな女性と出会いたい。
でも、それには 周りの人たちの気持ちを尊重し大切にする私自身をつくらなくては。私の将来の最大の目標は仕事を持ち、すてきな 女性と平凡に暮らす ことである。
2001.8.5号
時々 J1リーグ、ジェフユナイテッド市原の試合を市原臨海競技場へ観戦に行く。以前はバリアフリー席(車椅子)で見ていたが、ある日友人が「自由席で応援しようよ」と言ってくれた。席には背もたれが無いため長時間座る事が辛い私だが、実際に行ってみると通路が広く車椅子に座ったまま、楽に観戦できるスペースがあって不安は解消された。
さらに、もっと大きな喜びに気付いたのである。市原臨海競技場のバリアフリー席は、一般席とは はなれた特別席となっているので、サポーターの声が遠くから聞こえてくる。一方、自由席でサポーターに混じって観戦すると、白熱した声援や時には辛口のヤジまでも身近に感じ 私自身、大声をあげて応援したくなる。
サポーターの人は私に気軽に声をかけ「何かあったら声をかけてください」と言ってくれて、本当にありがたいと思う。特別席のこころづかいも ありがたいが、自由席で味わったサポーターの人たちとの触れ合いは、心のハーモニーを実感した。
2001.5.6号
知り合いから聞いた話。以前老人ホームに勤めていた女性が、その後ヘルパー2級を取得、将来老人福祉施設等を設立して生かしたいという。
ヘルパー講習を受講中、自分の知る老人ホームの現状を受講生の仲間に伝えた。職員主導で入所者を尊重していない環境に納得できない と語ったという。受講生の間で、入所者のことを真剣に考えている温かい女性だと評価が高かったそうだ。
その後、その女性が重度肢体不自由の人たちとの交流会に参加した。参加者の多くは何度も会っているので、さしたる支障もなく会話ははずんでいる。しかし、その女性は慣れていないから うまく会話できなかったのだろう。メンバーの1人に話したという。
「肢体不自由の人たちは会話が出来ず、能力も無く、貧乏で可愛そう。仲間にはなれないが、私のような健常者が助けてあげないと」。
僕はそれを聞いた時、大変悲しかった。
福祉・・・福祉…と多くの人が叫び、それを職業とする人材の育成も盛んになっている今、大切な問題だと思う。福祉の知識や技術を学ぶより、真から心温かい福祉の人材であることを願いたい。
福祉は学ぶものでなく「互いに対等に真心で触れ合う事」と思っている。
2001.2.4号
二十代前半の頃、私は女性と水族館へ行きたいと思った。当時、異性の友人と二人で一日過ごす経験は まだなかった。決してテレくさい訳でもなく、むしろ年頃の私にとって行きたくて仕方がなかった。しかし、実行するには一つだけ解決しなければならない問題があり、ためらい続けていた。
全介添を要し外出時は車椅子を利用する私は、移動や食事介添など友人にいつも快くして頂いている。しかし問題はトイレである。これは、お互いにいささか抵抗のあることだ。全く面識のない男性にトイレの介添を依頼する勇気は私自身なかった。
色々考えた結果、一番安心できる手段に気付いた。そこの施設の男性の職員に介添依頼しようと考えた。それにも、もちろん勇気は必要だったが実行した。必ずしも快諾というわけではなかったが、ともかく介添はして頂けた。
そんな経験以来、私は自信がつき時々異性の友人と色々な所へ出かけるようになった。近頃では、その場の職員、従業員の方に介添依頼すると快く引き受けて頂くことが多くなり、心からありがたいと思う。近頃では介添を依頼しながら、コミュニケーションが図れる喜びも感じる。
これが、立場を超えた心のハーモニーのきっかけとなるように思う。
2000.11.5号
施設等で暮らす自力外出困難な障碍者が作った個人ホームページを数例見た。様々な趣味を持ち活動している様子等公開している。それぞれ個性的に自分をアピールしていて楽しく見せてもらった。
いくつものホームページで共通している表現に気が付いた。「恋人募集」である。これについての意見も載っていた。年数回、交流会で健常者と知り合っても介助ボランティアの意識で終わってしまう−という意見。
今後ボランティアは、さらに社会に痩透するだろう。だが、介助で無く、心のふれあう友達付き合いになるのには、時間がかかりそうだ。ボランティアを「友達作りのきっかけ」と定義すれば、恋愛のバリアフリーも進むだろう。
バリアを作る原因は障碍者側にもある。いわゆる障碍による甘えである。相手の気持ちを尊重せず一方的に交際を迫ったり、介助を愛情と誤解してしまう例も時には見られる。
介助する側、される側の関係でなく、互いに尊重し合える社会であってほしい。このことは、恋愛に限らず、人の心の基本なのだろうから。
2000.4.30号
時々友人と一緒に呑みに行く。五井の”天狗”を利用する。私にとって心地よく座ることの出来る椅子があるのが利用の決め目。
私がファンの店員のお姉さんに会えるのも、楽しみのひとつかも・・・。
両手が利かないため、酒は友人にストローで呑ませてもらう。
酒は、心を開かせてくれる、魔法の薬だ。
ユーモアの中に互いの人生相談やら、日頃のストレス発散の場である。
以前、女性の友人と呑んだ時、トイレ介添えを男性店員に依頼した。店員は介添経験は無いとの事だったが、快く引き受けてくれた。
先日、久しぶりに同店に行ったら、その店員が声をかけてくれた。「最近、顔を見なかったから、寂しかったですよ。ゆっくりしていってください」
常連客という程でもない私に対し、店内で本当に良くしてくれる。心から感謝している。
同店は2階でバリアフリーにはなっていないが、店員が私の手足となり支えてくれるので気持ちよく利用できる。
互いに直接触れ合えるハート(心)のバリアフリーが最も大切であると実感した。
1999.11.7号
友人らの協力でひとり暮らしをしていた30歳の障碍のある青年が、体調を崩して亡くなり、数日たって発見された・・・という記事を読んだ。
幼い頃から、積極的に行動し、普通学校への通学を叶えたり、親元を離れ社会参加もしていたという。
彼が体調を崩した原因は深酒だった。
様々な悩みを抱え、特に次々と結婚して家庭を持つ友人たちを見ては取り残された思いにかられ、酒にまぎらしていたらしい。
立場も年代も似ている私には、他人事と思えない。
経済的に自立し、将来結婚もしたい・・・と、夢は持っていても、未だ定職はない。
今、交際している女性がいるが、結婚を口にした時、彼女の両親に許してもらえる自信はない。
彼女に青年の記事を見せたら「もし私と交際していなかったら、トモはどんなこと考えて生きてきたの・・・」とつぶやいた。
青年の気持ちはよく分かる。しかし、例え恋人がいなくても、別の幸せを見つけているはずだと思いたい。
幸せは、どんな立場であろうとも、心がけひとつで得られるのだと思う。
彼女との交際が今後どうなっていくのか・・・自分だけで決められないもどかしさ。
しかし、将来どんな関係になろうとも、今を大切に出会ったときのように良き友人でありつづけたい。
1999.8.1号
車椅子生活をしている私は、自力での外出が困難なため、仲間に会いに行けない日もある。
こんなときは、交通機関や、さまざまな施設の段差がうらめしく思える。健常者の人は、多分段差があることさえ意識していないと思うけれど・・・。
2年前から、インターネットを始めた。この世界はまさにバリアフリーだ。
たくさんの情報があるだけでなく、多くの人との出会いがあり、全国の人とリアルタイムで会話も楽しめる。これまでは、福祉関係の方との出会いが多かった私だが、Eメールを使い一般の学生、フリーター、OL、記者等様々な分野の方と毎日会話している。
メールをやり取りしていると次第に心が通い合ってくるのを感じる。ネット上にバリアは存在しない。
ネットで知り合った方と直接会った時、初対面だという気が全くせず、旧友と出会ったような、なつかしさを覚えたことがあった。
心と心の対話から出発した結果だと思う。
心の壁を取り除きそれぞれの個性を出し合える心の社会<インターネット>は私の世界を大きく広げてくれる。
1999.5.2号
早春梅の花を見たくてKさんの協力を得て小高い丘の梅林に出かけた。途中まではアスファルトで車椅子で楽に進めたが、アスファルトが消え道も細く急な坂道になった。あと少しで頂上に着く。丘の上からうぐいすの声が聞こえたように思えた。
デコボコ道での車椅子はただのお荷物。普段自力走行はほとんどしていない私だが、kさんを余り疲れさせないでなんとか頂上まで行ってみたいと思った。途中でヘコタレたら・・・と不安もあったが、梅の香りが私を励ましてくれていた。
「車椅子でなく頂上まで歩く」という私を、Kさんはひどく心配そうに見た。「手で軽く僕の体を支えて・・・」とたのみ、Kさんと共に歩き始めた。途中で休みながら約300m先の頂上に無事たどり着いた。
ピンク一色の梅林、その向こうに夕陽の当たった山々が美しかった。
kさんと一緒にきれいな景色を見て共感したかった。体中汗だく、足腰も痛かったけれど、来てよかった。
kさんは私の姿に感動し「ここまで一緒に来てくれてありがとう」と笑顔で話してくれた。
30歳まであと1年。今年はさらに心身ともに力をつけ自力でできる事を増やしていこうと、梅の花に誓った。
1999.2.7号
ある日、サークルの会合のため駅で友人のAさんと待ち合わせた。私は外出する際車椅子を使用する。その日は、Aさんと駅員さらに居合わせた方に声をかけ、介添協力をして頂いての電車利用だった。
改札口に入ろうとした時、長いチャパツでスラリとした今風の女性が「Aさん!」と声をかけてきた。Aさんの知り合いらしい。
「Aさん、きょうはどこいくの?へぇーボランティアなんだ。えらいね」と言うと、私にも会釈をし去って行った。
その後、Aさんがつぶやいた。「ボランティアって何でエライの?」
私は改めて感じた。やはり社会の多くの人はボランティアを<一歩的な手助け>だと認識している。そこに<エライ>という思いが生まれてくるのではないか。ボランティアは、一方的に与えようとする手助けより気軽な雰囲気の中で互いに知り合える<友達づくりの場>であり、その中でのささやかな<支援>が互いの理解を生む――と私は考えている。
1998.11.8
障碍(害)者と健常者の共生と友達づくり等を目標に、市原ウィズエブリワン会長として、7年間皆様に支えて頂き、深い感謝の気持ちで活動を続けている。
全介添を要する障碍を持つ私、それがゆえに公私共々様々な出来事に出会い、それらはすべて貴重な経験となっている。それらの経験を通しての思いをつづってみたいと思う。
私は最近になり、福祉関係、福祉関連医療・教育機関団体等より、講師として招いて頂けるようになった。その席上、ボランティアとして、あるいは職業として福祉に携わる方々へ『福祉』について尋ねてみると、大半の方から『手助け』というニュアンスの回答を得る。その都度、一抹のさびしさを感じてしまう。
健常者もやがては高齢化や病気等で障碍となる。その時に、本当に『手助け』で満足出来るのであろうか。心の支えとなる継続的仲間友達を得ることで、心から身体への潤いとなり、障碍に負けない活き活きとした人生を送れるのではないかと考える。
心の足りない時代といわれるが、福祉を通して、お互いに良い影響を与え合える関係でありたいと、いつも願っている。
シティライフ
市原版
(読売・朝日・毎日新聞 折込誌
市原市全域と千葉市・袖ヶ浦市の一部 毎週土曜)
85800部発行
みんなで生きる
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市原ウィズエブリワン 会長 倉田知典 (31) |
2001.3.3 掲載 『バリアは自身の思い込みに過ぎない』 |
みなさんは障碍(しょうがい)者と健常者の境は何処にあると思いますか
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