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平成17年度 千葉県福祉教育研究県大会 配布用

主催 千葉県・千葉県社会福祉協議会・千葉県福祉教育推進連絡会議

助けるのがメインではなくコミュニケーションをメインに

倉 田 知 典 ( http://www.skz.or.jp/taiwa

★講演活動について

 障碍(害)児者や高齢者(以下 障碍等の方という)に対して、ボランティアとしてあるいは職業として、手助けをしたり、色々なサービスを提供する方々が最近、特に増えていると感じます。そのことは とても良いことですし、嬉しいことであります。

 私は講演を通じて、各地で色々なお立場の方と対話形式で触れ合いを心がけています。例えば50人の福祉系の大学の授業、あるいは実際に福祉の現場で働いている方に対しての研修会などの場において、「プライベートで障碍等の方の仲間は居ますか?」とお聞きすると、1人 手をあげるか あげないか… どこの講演に行かせて頂いても そういうことが多い現実です。ボランティアまたは職業として、障碍等の方との触れ合いはあるという受講生が、ほとんどで、プライベートでの友達や仲間としての継続的な触れ合いまでには、なかなか発展していないのが現状でしょう…。

 また特に今の10代〜20代前半までの若者が小・中学校の時は、同じ学校内に特殊学級等があり障碍等の方と、学校生活を過ごしていたという方も増えていますが、友達や仲間意識までは芽生えないのも現実です。ただ単に幼い頃から統合教育によってノーマライゼーションの精神が自然に育んで行き、友達や仲間意識までお互いに持つことが出来るかというと疑問に感じます。

 友達や仲間意識までに至らない…、その根底にある課題は実に簡単のように考えます。障碍等の方=手助けや介護の対象(メイン)として、社会が自然とそのように教えているように感じます。一見、素敵に感じますが、本来、介護や手助けは手段に過ぎないと考えます。介護の対象…助けてあげる…がメインであれば、極端な例え話しですが、科学が発展し将来何でもしてくれる介護ロボットが出来たとしましょう。そうしますと人の介護や手助けは、いらなくなります。そんな世の中が来た時、障碍等の方はロボットという機械と触れ合う… 人が機械を中心として触れ合うということは たましい の無い実に心 寂しい環境になると考えます。

 健常者同士でも それぞれ異なりますが、同じ人間として支え合って生きているのです。仲間や友達という信頼関係、コミュニケーション(メイン)によって、生活し合っていると思います。障碍等の方と触れ合うことも、仲間や友達になることの大切さをメインにし、福祉教育として当てはめ、取り組む時代に来ているように感じます

 健常者同士も隣近所との触れ合いが少なくなったり、あいさつも出来ない人も増えています。またモラルも守れない社会化になっている部分もあります。触れ合いが少なく、あいさつも出来ない、モラルも守れない… 基本的な一番大切なことが出来ない人も世の中には居る… これこそ大きな障害だと私は考えます。

 感想をお読みになれば、お気付きかと思いますが、「福祉教育は継続性」が大切です。ただ福祉教育を1度すれば良いとか、1つのカテゴリーと とらえず、突き詰めていくと本来は「社会がお互いに心の器を広げ絆と人情あふれる調和の取れ合う 人間教育です」。人間教育は人としての基本的なモラルを続け合うことだと考えます。

 人として大切なことを繰り返し伝える… そして1歩でも1人でも小さいことから基本が繰り返し出来るようになれば、2人目3人目と増えて行くでしょう・・・。そういう社会になれたらと考えます。

 今後は1度だけの講演で無く、同じ学校や同じ研修会などで繰り返し「人間教育」をして行けたらと希望しています。そのことは私自身の人間教育=心の器を広げて行きたい…私も講師でありながら、受講生の皆さまと仲良くなり、私自身の人間教育の場とも、させて頂きたいと願います。


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