倉田知典 に対する 小出善三郎 市原市長さんが感じたコラムの記事です。
広報いちはら
1999年4月1日号にコラムで掲載の「市長のめがね(91)」
「身体障害者K君」
二十九歳になったK君。八か月の未熟児で生まれたため、全面介助を要する重度肢体不自由の身です。しかし、パソコンを足で操作しデザイン画を制作するすばらしい才能をもっています。
人と話をするにも、大変な時間と労力を必要としますので、ほんの数分間語るだけで汗びっしょり、人の手を借りなければ汗も拭けない状態です。ところが、彼の考え方は実にしっかりしていて、いつも障害者の先頭に立ってバリアフリー運動(障害者と健常者が一緒に生活できる社会づくり)に力を注ぎ、市長に対するいろいろな要望をまとめてきます。
ある日、K君の講演を聞く機会にめぐり合いました。情熱的な話し振りに、聴衆は一言一句ももらさじと、耳をそばだてていました。父親が会社に勤めていること、母親が一切の面倒を見ていること、兄が最近結婚したことなど、最初は家庭の様子が中心の話でした。特に、兄の結婚はとても羨ましく思ったそうです。
しかし、自分は生きているだけで満足している、というあたりから、彼は心の中を見せはじめたのです。今、ある女性に恋をしていて、うまく行くかどうか難しいけれども、そんなことを考えるだけでも嬉しいと語っていました。
圧巻だったのは、彼が突然、感涙で絶句してしまった場面です。それは、母親が病気で入院した時に、「こんな貴方を生んでごめんね」のひとことを聞いた瞬間のことでした。物心ついてから今日までのこと、これから先の母と子のことなど、いろいろな感情が一気に噴き出してきたものと思われます。何度も、汗と涙を拭いてもらいながらの講演は、時間のたつのを忘れさせる感動的な情景でした。いつも市長室で厳しい意見を言うK君を見直したひとときでした。