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日本教育大学院大学

東 京 都 千 代 田 区
2007年10月23日

( 1番下まで ご覧ください )

中学校・高校の現職教員の方や教育関係に仕事として目指している方を対象に、公開講座にて講演をさせて頂きました 。講師活動の中で一番させて頂きたかった場であり、大学院で話すことが出来て、本当にありがたかったです♪。受講生の皆さんと楽しく話しながら、2時間、授業を行わせて頂きました。 ありがとうございます☆

テーマは 「地域との深いつながりが心潤う学校へとなる…」 です


私のホームページも ご披露させて頂きながら
講演を進めました。


受講生の みなさんです
真剣さと笑い有りの繰り返しでした☆。


私のの一部を受講生さん代表で
読んで頂きました。
受講生の皆さんの心に響いて頂いたようです。

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受講生の皆さんから素直で心温まる
ご感想を頂きました。

以下 ご感想です。

私は、とある大学の教育学科の学生です。将来は、教師になりたいと思っています。実は今日の講師の倉田先生が車椅子の方だとは知りませんでした。お話しの中で、「どんな話しをすると思って来ましたか?」という問いかけがありましたが、私は「つながり」という言葉に魅力を感じ、今日、講演に来ました。私は小学生や中学生と週に1回 触れ合います。「価値ある体験には積極的にアプローチしなさい」と助言を受け、たくさんの人と会ったり、話しをしたりして行こうと思っています。その中で、私は多くの人に、たくさんのことを学んで来ていますし、一人では ないという、つながりや、その大切さを感じています。今日のお話しを聞いて、理屈や理論なしで人とのつながりを増やしたり、深めて行きたいと思いました。あと、私も小学生とキャンプに行く前は、話題作りやアニメ、マンガを勉強しました。だから、倉田先生がドラマのお話しをしたりすることは、とても共感ができました。今日は本当にありがとうございました。

立派な教育評論家でした。以前、高校で倉田さんの講演を聞いた高校生の感想に、「最初は福祉の話しかと思ってた・・・」と話してましたが、マスコミが障碍(がい)者を取り上げる上で、必ず頑張っている・苦労していることを強調し、番組などにしている影響が大きいと思います。やはり倉田さんが話したように、頑張っている・苦労していることを強調して、差異ばかりに目を向けるのではなく、社会との協調性を基礎に障碍(がい)の ある なしに問わず、心理的距離を縮めて行くことが重要に感じました。教育者として倉田さんの講演をもっと聞きたかったです。また講演の機会を作って欲しいと思いました。

倉田さんが以前、高校で講演をされた時のお話しが印象的でした。今後、教育現場で求められる教育というのは、そういうものだと感じました。「健常者と障害者」と分けて考えること自体が、人として仲間として関わろうとする中で、邪魔になっていると感じました。恥ずかしながら私自身にも、そういった部分はあると思います。「相手に合わせ合う」というのは、あたり前なようでいて、私自身、忘れがちなことでしたね。常に心に、とめておきたいと思います。学校の授業や部活でも、地域と関わるというのは、素晴らしい提案だと思いました。「教師のゆとり」・・・今は無くなってしまっているものだと思います。教師をしている友人も辛そうです。「教師のゆとり」、これが実現したら教師はもちろん、子ども達へもブラスの影響を与えるのでは・・・と、良いお話しをありがとうございました。そして、とても楽しい時間でした。

障がい の ある なしに かかわらず、人として楽しいとか苦しいとか、希望とか、みんな持っているということが理屈ではなく、よくわかりました。人と人がつながるのは心によってであって、何かをする・される関係ではないですよね。地域ぐるみで教育できない理由として、「意識」と倉田さんは、おっしゃいました。私も賛成です。

本日はありがとうございました。「学校」や「地域」などのお話しを伺ったというよりも、「人との ふれ合い方」について語って頂いた、良い話しだと思いました。“相手に合わせ合う会話”で人間同士のつながりを深めるきっかけとなるというお話しに、ハッと心に響きました。また倉田さんの本の『鏡』の朗読で、鏡に写るモトになる自分が笑っていなければ、鏡の中も笑わない、というフレーズにもドキッとしました。私は、“教員”という最も人間と、子どもと身近に ふれ合う存在でありながら、歩み寄って合わせたり、見本や手本として子どもに笑っていなかったりします。そんな硬くて、冷たくて、つまらない大人に育てて行けば、子どもは、どうなるだろう・・・。そんな語りかけを倉田さんから話されたと感じ、私自身 反省しました。ありがとうございました。

「自分より相手を大切にする」。この言葉には衝撃を受けました。利己的な僕は今まで、そのような人として大切な行いを、出来ていなかったと気づかされ、今後の僕が取るべき心の指針を立てて、頂けました。本当にありがとうございます。

普通の学校や特別支援学校(養護学校)も、地域へ開かれたものにして行くことが大切ですね。

倉田さんが養護学校(今は特別支援学校と言いますね)を、ご卒業された当時は、地域の方々とのつながりがなく、寂しい思いをしたとの過去の体験談は、とても衝撃的でした。特別支援学校は、普通の学校とは違い授業時間数などが短かい。このため通学することは、とても大変なうえ、友達も遠方から来ていたために卒業したら会えない。考えてみれば、それが現実。でもお話しを伺うまで考えることができなかった。また今まで、そういったお話しを聞く機会がなかったし、障害のある方の話しとなると、倉田さんがおっしゃられていた通り、福祉に関する、頑張って来たことや苦労話しがメインに思う。地域と深く交流できる学校であれば、近くに仲間ができたと思った。地域と学校のつながりについては、今ほとんどが学校任せになっているのが現状。ただ、それを家庭のせいにするだけではなく、教師も地域へ踏み出していかなければならない。そのきっかけや第一歩ができても、継続できなければ意味がない。実現できる教師になりたいと、倉田さんの話しを聞き思った。

「人間的な人格の完成のために、すべてを学校が担うべきではない」という発言にとても共感しました。学校が準備するとお膳立てになってしまい、学びの教育になってしまうというのは、本当に、その通りだと思います。教員のゆとりという問題もあるとは思いますが、学校がやれることと、やれないことの線引きを学校が勇気をもって行うことが必要かと思います。無責任であると非難されるでしょうが、人間を育てるのに学校、教員のみでは、やはり不可能なので、かえって人を不幸にしてしまうのかもしれません。責任を持って、子どもの教育にあたらなければ行けないと、あらためて感じました。平凡であるために努力しなければ、行けないという倉田さんの言葉が心に残りました。私自身は努力しているのに報われない。隣の人のようにラクに生きたいと思うことが、しばしばです。努力をして今がある。そう思うと努力をせずにはいられない…もしかしたら、そう思って生活している人が、ほとんどなのかな・・・とも思います。なぜ努力するのか分からないけれど、多分、明日もこれからも努力する自分がいるのだろうなと思います。倉田さんから元気をもらいました。ありがとうございました。

倉田さんの生活面などの ことは講演終盤のお話しから、察することができました。今日のお話しでは、私が自然体でいれば良いと感じたと同時に、倉田さんが、障害者とかではなく、人として自然体でおられると安心しました。

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皆さん本当に ありがとうございました♪。

連絡先 E-mail tomonori.taiwa@gmail.com
倉田知典


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